2016年10月31日月曜日

「イエスは涙を流された」

イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。  (ヨハネによる福音書11章33節~35節)

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

 今年の3月、3歳の男児が急逝しました。猛威を振るったインフルエンザによるのです。4月には天王寺教会併設の真生幼稚園に入園予定でありました。2歳上の兄が在園しており、職員一同、驚きと痛みに襲われました。職員共々、仏式での通夜に参列し、小さな小さな棺に納められた男児とお別れをすべく、その亡骸の傍らに佇んだ時、もはや涙をこらえることはできませんでした。なぜなら、棺の彼は、入園式のために用意された晴れ着であろう、ブレザーと蝶ネクタイを身にまとい、頭には園の制帽を被っていたからです。
 翌朝早く、霊安室を訪ねると、父親が棺に寄り添っていました。夫婦交代で寝ずの番をしていたものの、途中から妻は起き上がれなかったとのこと。告別式に参列できないので祈りに来たことを伝えると、父親は、「祈りだけでなく、説教をしてください」と求めたのです。今ですか?と聞き返すと、「今ここでです!」と言う。そこで、聖書の死生観と救いを語り、神の御手に委ねる祈りを捧げました。
 しかし、何ということか! さらに悲しみは覆い被さります。幼子の死からひと月も経たぬうちに父親が逝去したのです。訃報を聞いた時、まさか子の死を嘆いてかと不安を拭えませんでしたが、病身ゆえの死でありました。
 母親は子の死から50日後、遺骨を教会に納めました。その後、求道を始め、降誕祭には長男との受洗を望んでいます。人が隣人に慰めの言葉を持たぬ時、ただ寄り添うことのみ残されます。しかし主は、なお御言葉をもって福音を語り、救いを約束してくださいます。

 ラザロの死に際して、イエス様は涙を流されました。この涙のわけを聖書は語らず、秘められています。だからと言って、イエス様はラザロの死に間に合わなかったから涙を流されたのだという、聖霊が関わらず、祈りも無き想像は退けられるべきです。
 死者が復活するという出来事でありながら、このことはヨハネによる福音書だけが伝えます。ラザロはマルタとマリア姉妹の兄弟です。この姉妹については、ルカによる福音書10章が伝えるところの、「働き者のマルタと信仰深いマリア」という評判が知られますが、ヨハネが伝える姉妹の様子は、また別の印象です。姉妹はイエス様にラザロが重篤であることを伝え、癒しを求めますが、主の到着は墓に葬ってから4日後でした。
 まずマルタが出迎え、イエス様と復活について問答し、最後に、「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」との告白に至ります。遅れてマリアも迎えますが、主の足元にただただ泣き崩れるばかりでした。イエス様は、マリアと一同が泣いているのを見て心に憤りを覚え、そして、涙を流されます。
 イエス様の憤りは、何に対するものであったのか。涙のわけがここにあります。イエス様は、ラザロが病気であると伝えられた時、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」と語られています。そして、死が公然と人々の希望を中断し、ラザロの人生を終わらせようとするのを見て、死の領分をわきまえない暴挙に憤られたのではないか、と受け取ります。
 キリストの教会は、葬儀の務めを神より託されています。この務めは、キリスト者として召された者が天国へと迎えられたことを宣言することではないとわきまえます。また、死によって人生を中断された者を喪った悲しみへの慰めに終わるものでもないと心得ます。キリストの十字架が神の栄光であるごとく、復活の望みにおいて、人の死も神の栄光を証しするものであることを伝えたい。
 望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます。 アーメン。

 日本福音ルーテル天王寺教会牧師、喜望の家責任者 永吉秀人

2016年9月30日金曜日

「それでも赦しを語る」

 ぶどう園の主人は言った。「どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。(ルカによる福音書20章13節)


ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して旅に出ました。収穫の時期になり、主人は収穫を受け取るために僕を送りますが、僕は袋だたきにされ、追い返されてしまいます。二人目の僕も、三人目の僕も同じでした。それで主人は愛する息子を送るのですが、農夫たちはぶどう園を自分たちのものにしようと考え、跡取りである主人の息子を殺してしまったというのです。
 最初の僕が袋だたきにされた時点で主人は、農夫たちが信用できる相手ではないと分かったはずです。それなのになぜ主人は、農夫たちにぶどう園を預けたままにし、彼らを信じて僕を送り続けたのでしょうか。私たちは、信用できない人、それも既に裏切られたというような人に再び何かを頼もうとはしないでしょう。
 主人に人を見る目がなかったということではありません。この主人は、信用できない者であっても信じ続ける、裏切られても相手を信じて待ち続ける人だったのです。

 ぶどう園は神様と神の民の関係を表しています。ぶどう園の主人は神様、農夫たちは民の指導者たちであり、また神の民のことです。人々は神様から任されたこの世界で自分勝手に罪を犯して暮らしていたので、神様は人々が悔い改めるように何人もの預言者を遣わしたのですが、人々は預言者を退け続けたのです。


 それで神様は「わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう」と独り子であるイエス様をこの世界に送られたのです。人々が信用に足る者たちではないとよく分かっていても、それでも神様は人々を信じ続けてくださったということです。
 たとえでは、主人が「戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない」となっています。それでは実際のその続きはどうだったのでしょう。聖書は、イエス様を殺してしまった者たちも、すべての罪に生きる者が、神様の許に立ち返り、罪の赦しを受け取るように招かれていると私たちに告げています。そして、私たちは神様の前に繰り返し罪を犯し、神様を裏切り続けている人々の中に自分自身の姿を見いださなければなりません。信用できない者たちを信じ続け、徹底して赦しを与え続けようとされている神の愛にもう一度心を向けなければならないと思うのです。

 宗教改革から500年を迎えようとしています。私たちの在り方をもう一度見直し、恵みを確かめる時です。私たちルーテル教会がこれまでこだわり続けてきたこと、これからもこだわり続けていかなければならないことは、赦しを語り続けることだと、私は思っています。
 自分の罪に気づき、十字架の赦しを受け取った者であっても再び罪を犯します。その度に私たちは何度でも赦しの言葉を聞くのです。十字架の赦しを伝える務めは、牧師だけにではなく、教会に連なるすべての信徒にも与えられています。

 赦しの言葉を語り続けるところに留まるのではなく、赦された者が成長するための言葉に、語る言葉の重心を移していくべきだという考えもあるでしょう。赦された者として成長していくことは、もちろん大切なことです。しかし、信仰者としての成長の妨げになるから赦しを語ることはもう卒業しようとは考えないのがルーテル教会だと思うのです。

 赦しを語り続けることによって、私たちの中に甘えが生じてしまう危険があることも事実です。そのことは素直に認め、そうならないように気をつけていかなければなりません。けれども、だから赦しを語ることは少し控えようとはならないのです。それでも「あなたは赦される」と繰り返して語り続けるのがルーテル教会です。十字架の赦しを語り続けることが何よりも大切だからです。ただ神様の恵みにより、十字架をとおして私たちの罪は赦されるのです。私たちは赦しの言葉に「はい」とうなずくだけでよいのです。
 何度でも赦しに立ち返り、感謝と喜びに満たされ赦しの言葉を携えて神様から遣わされていきたいと思います。
日本福音ルーテルみのり教会 牧師 三浦知夫

2016年8月31日水曜日

「だいじょうぶ だいじょうぶ」

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。(詩編23・1~4)



詩編23編は、わたしたちが、いつもくちずさみ、味わい、その度に力づけられる詩であると思います。「主は(わたしの)羊飼い。わたしには、何も欠けることがない。主は、わたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」。
 神さまから造られたわたしたちが、神さまに守られている者だと言うのです。主は羊飼い、わたしたちはその群れの羊。わたしたちは、自分で自分を守るのでなく、ただただ、飼い主に守り抜かれる存在です。しかし、守られるのは、主の群れにあってです。すると、主の守りを分かち合う、守り合うということが起こります。どのように、わたしたちは守り合うのでしょうか。

 柳田邦男というノンフィクション作家がいますが、『みんな、絵本から』(講談社)という本の中で、幼いころに読んだ絵本が、悲哀や辛苦の人生経験と重なってきて、病いや老いのときに、その絵本が深い癒しを与えてくれると言います。

 実は、わたしにも、そのような絵本があります。
 その絵本は、『だいじょうぶ だいじょうぶ』(いとうひろし作・絵/講談社)というものです。主人公の「ぼく」が、ようやく歩けるようになった頃から、おじいちゃんは、毎日のように散歩に連れ出してくれました。散歩は楽しく、新しい発見や出会いがありました。困ったことや怖いことにも出会いましたが、そのたびに、おじいちゃんが、「ぼく」の手を握り、おまじないのようにつぶやくのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ」。こうして、「ぼく」は、何があっても、「だいじょうぶ だいじょうぶ」の言葉に支えられて、大きくなりました。
 やがて、「ぼく」は成長し、おじいちゃんも年をとってきました。あるとき、おじいちゃんは具合が悪くなり、入院することになりました。さあ、今度は「ぼく」の番です。「ぼく」は点滴を受けてベッドに寝ているおじいちゃんの手を握り、何度も何度も繰り返して言うのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん。」
 この絵本を見たのは私の父が亡くなった後でしたので、「ぼく」がおじいちゃんの手を握り「だいじょうぶ、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん」という場面では涙が止まりませんでした。
 
 詩編23編は、神さまの守りと、わたしたちの神への深い信頼を歌っています。「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」 「わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる」。
 この詩人は、平穏な日々の中で神さまへの信頼を歌ったのではないようです。現実の状況は「死の陰の谷」を歩み、「わたしを苦しめる者」が前にいるのです。しかし、それでも羊飼いがわたしと一緒にいてくれるという信頼を持ちながら歩んでいくのです。きっとそこには、「だいじょうぶ、だいじょうぶ、主が共にいてくださるから」と、語りかける仲間がいたことでしょう。「ぼく」がおじいちゃんから「だいじょうぶ」を聞き、「ぼく」がおじいちゃんに「だいじょうぶだよ」と声をかける。これが、大切なことだと思います。

 友人から送られてきた手紙に、作者不詳の詩が紹介されていました。
「主よ、あなたが、あの人のことを、引き受けてくださいますから、一切をお任せいたします。私の力ではなく、あなたの力で、私の愛ではなく、あなたの愛で、私の知恵ではなく、あなたの知恵で、お守りください。主よ、抱きしめてください。私の代わりに。」
 この詩の「あの人」とはだれのことでしょうか。
「ぼく」にとっては、入院しているおじいちゃんでしょう。わたしたちにも、主に委ねるべき「あの人」がいることでしょう。守られた者が守る者となる。これがわたしたちの生き方でしょう。「だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうだよ!」と呼びかけあう。そこに主の羊たちの群れの姿があるのです。
日本福音ルーテル静岡教会 牧師 富島裕史

2016年8月4日木曜日

「傷ついた癒し人」

2016.08

 71年前、アメリカは人類史上初の原子爆弾を広島と長崎に落としました。この原爆を積んだ爆撃機は、戦争を終結させる平和の使者として、従軍チャプレンによって祝福祈祷を受けて送り出されていきました。悲しいことに、広島に飛び立ったエノラ・ゲイを祝福したのはルーテル教会の牧師。長崎の場合はカトリックの神父でした。浦上天主堂の真上で原爆が炸裂した時、礼拝堂では罪の懺悔告白の最中でした。
 人間同士の憎悪や不信、恐怖の結晶が原爆です。その破壊力は天地万物をお創りになり、命を生みだされた神さまへの反逆、その罪の深さを表しています。
 今年5月、現職大統領として初めてオバマ氏がヒロシマを訪問しました。そこで誠意あるスピーチをしましたが、現実は大統領が絶えず携行する「核爆弾のスイッチ」を平和記念公園に持ち込み、「核なき世界の実現は、私の生きている間には無理かもしれない」と告白せざるを得ませんでした。ここに武力を背景とした「パックス・アメリカーナ(アメリカの平和)」の限界があります。
 主イエスは最後の夜、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・12)と命じられました。なぜなら、もし互いに愛し合わなければ、私たちの前にあるのは破滅だからです。私たちはヒロシマ・ナガサキをはじめとする、戦争による多大な犠牲の痛みを共に担うことへと十字架の主によって招かれています。それは日本人だから、広島に住んでいるからということではなく、この痛みを通して、他国の、そして他者の悲しみ、苦しみ、傷を負っている人たちと連帯することを、主が求めておられるからです。

 平和主日の旧約の日課は、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」というミカ書(ミカ4・3)ですが、同じ言葉がイザヤ書にもあります。どちらもバビロン捕囚の時代のものです。国破れ、神殿に火がかけられ、民は奴隷の有様でバビロニアへ強制連行される民族の悲劇。かつて味わったことのない痛みと絶望が襲いました。


 そして捕囚からおよそ50年が経った頃、キュロスという王様がペルシャに登場します。ペルシャはバビロニアの敵対国。そこで、囚われていたユダの民はかすかな希望を持つのです。イザヤは45章で「主が油を注がれた人キュロス」と語ります。つまりこの段階で、キュロスこそが我々を救う神からのメシアなのだと語っているのです。そして現実に、ユダの民はキュロスによって解放され、祖国への帰還が許されるのです。


 イザヤの預言は成就し、平和が訪れ、祖国を再建できる。神さまは私達を見捨てていなかった。多くの人たちはそう思ったことでしょう。ところが一番に喜ぶべきイザヤはこれを良しとしませんでした。むしろ立ち止まり、疑うのです。人間の武力によってもたらされる平和の中に、真の救いはあるのだろうかと。 そして彼はこの末に、遂にイザヤ53章の「苦難の僕」と呼ばれる預言へと辿り着くのです。イザヤは人間の強さの中に救いを求めません。むしろ救いは弱さの中に現れる。人間的な弱さの極みに立って、黙々と隣人の罪と痛みを負う人、傷ついた癒し人こそメシアだと告げるのです。


 この平和の君は、十字架の上で苦しみを担われた神でありました。聖書が語る救い、癒しとは痛みや悲しみを取り去ることではありません。そうではなく、私たちが悲しみ、苦しんでいるこの痛みの経験は、より大いなる痛み、すなわちキリストの痛みに連なっているということを指し示すのです。


 それが象徴的に示されているのが聖餐式です。エフェソ書にあるように、敵意や隔ての壁、私たち人間の破れを全て包みこんで、主は和解と平和を実現してくださいます。その時私たちは、ご自身の傷をもって私たちに仕えてくださったキリストの愛を心に刻み直すのです。
 礼拝から派遣され、「御国を来たらせ給え」と祈りつつ行動する勇気と知恵が与えられていくのです。
 日本福音ルーテル教会広島教会 牧師 伊藤節彦

「エンキリディオン・必携」

2016.07
「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』」 (ルカによる福音書15・20~21)

 宗教改革500年を記念して、ルターの「エンキリディオン小教理問答書」が新たな翻訳によって出版されました。そのまえがきには次のように書かれています。
 「ルターはこの小冊子を『エンキリディオン』、『必携』と名付けました。・・・キリスト者が個人でも家庭でも必携として、聖書と共に身近に置き、機会ある毎にこれに目を通すだけでなく、これに従って生活を整えることを願ってのことでした。」
 そして、解説ではこのように語られます。「1503年にキリスト教的人文主義者エラスムスがラテン語で『エンキリディオン』という本を出版した。これは『キリスト教戦士必携』として知られている。・・・恐らく「エンキリディオン」(必携)という言い方は当時流行語になっていたのかも知れません。」

 エンキリディオンとは護身用の武器である「短剣」を意味し、後にそれが「必携マニュアル」という意味で用いられるようになりました。そして、私たちはエンキリディオンがキリスト者の命を守る短剣であることを、レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵の中に見ることができます。

 ルカによる福音書15章の放蕩息子の物語によれば、放蕩の限りを尽くした弟息子は最も惨めな姿で父の元に帰ってきます。レンブラントはこの物語を描いた絵の中で、父の前に跪く息子を、片方の靴は脱げ、もう一方の靴のかかとも破れ足が剥き出しになり、土と汗にまみれぼろぼろになった服を荒縄で締めるというまことに惨めな姿で描いています。


 しかし、そのような姿にもかかわらず、見る者が驚くほどのものをその息子は身に付けているのです。それは、ぼろぼろのいでたちの息子が腰に携えている、惨めさとは対照的なほど立派な短剣です。そして、この短剣こそがエンキリディオンなのです。


 レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵に関する著書の中で、ヘンリ・ナウエンはこの短剣について次のように語ります。「ユダはイエスを裏切った。ペトロはイエスを否定した。二人とも、道に迷った子どもだった。ユダは、神の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかりと握り続けることができず、自殺した。放蕩息子に置き換えて言えば、息子である証しの短剣を売ってしまったのだ。」(『放蕩息子の帰郷』)と。


 レンブラントが放蕩息子の腰に描いたこの短剣こそ、父の子であることのしるしであり、しかも、父の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかり握り続けるために必須のものであったと語るのです。


 そして、ルターはエンキリディオンを教理問答と結びつけ、小教理問答書を『エンキリディオン(必携)』と名付けました。父の子であることを思い起こさせる神の言葉の真理を捨て、失わないために。そして、この真理をしっかりと握り続けるために。


 レンブラントは、敬虔なプロテスタントの信仰者であり、「オランダ人はレンブラントによって、聖書の精神を教えられた。」と言われたほどの人物でした。だから、レンブラントが描いた腰の短剣は、息子に父の子としての記憶を持ち続けさせるものであったに違いありません。


 すなわち、信仰深かったレンブラントは、短剣・エンキリディオンを、父の子であることを思い起こさせ、真理を保ち続けるものとして、息子の身に帯びさせたに違いないのです。だからこそ、放蕩の限りを尽くした息子は父のもとに、再び帰ってくることができたのだと。


 父の家へ帰る道を私たちに教え、常にこの道をたどるようにその手に、神の子としての約束を握り続けさせるエンキリディオンを私たちもまた、身に帯び、主イエス・キリストの十字架と復活によって示された命の道を、共に歩んで行きましょう。

「『だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」(ルカによる福音書15・32

日本福音ルーテル保谷教会牧師・日本ルーテル神学校 平岡仁子

神によって変えられる

もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。」(ローマの信徒への手紙11・15〜16)   10月31日は何の日...