2016年8月31日水曜日

「だいじょうぶ だいじょうぶ」

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。(詩編23・1~4)



詩編23編は、わたしたちが、いつもくちずさみ、味わい、その度に力づけられる詩であると思います。「主は(わたしの)羊飼い。わたしには、何も欠けることがない。主は、わたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」。
 神さまから造られたわたしたちが、神さまに守られている者だと言うのです。主は羊飼い、わたしたちはその群れの羊。わたしたちは、自分で自分を守るのでなく、ただただ、飼い主に守り抜かれる存在です。しかし、守られるのは、主の群れにあってです。すると、主の守りを分かち合う、守り合うということが起こります。どのように、わたしたちは守り合うのでしょうか。

 柳田邦男というノンフィクション作家がいますが、『みんな、絵本から』(講談社)という本の中で、幼いころに読んだ絵本が、悲哀や辛苦の人生経験と重なってきて、病いや老いのときに、その絵本が深い癒しを与えてくれると言います。

 実は、わたしにも、そのような絵本があります。
 その絵本は、『だいじょうぶ だいじょうぶ』(いとうひろし作・絵/講談社)というものです。主人公の「ぼく」が、ようやく歩けるようになった頃から、おじいちゃんは、毎日のように散歩に連れ出してくれました。散歩は楽しく、新しい発見や出会いがありました。困ったことや怖いことにも出会いましたが、そのたびに、おじいちゃんが、「ぼく」の手を握り、おまじないのようにつぶやくのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ」。こうして、「ぼく」は、何があっても、「だいじょうぶ だいじょうぶ」の言葉に支えられて、大きくなりました。
 やがて、「ぼく」は成長し、おじいちゃんも年をとってきました。あるとき、おじいちゃんは具合が悪くなり、入院することになりました。さあ、今度は「ぼく」の番です。「ぼく」は点滴を受けてベッドに寝ているおじいちゃんの手を握り、何度も何度も繰り返して言うのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん。」
 この絵本を見たのは私の父が亡くなった後でしたので、「ぼく」がおじいちゃんの手を握り「だいじょうぶ、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん」という場面では涙が止まりませんでした。
 
 詩編23編は、神さまの守りと、わたしたちの神への深い信頼を歌っています。「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」 「わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる」。
 この詩人は、平穏な日々の中で神さまへの信頼を歌ったのではないようです。現実の状況は「死の陰の谷」を歩み、「わたしを苦しめる者」が前にいるのです。しかし、それでも羊飼いがわたしと一緒にいてくれるという信頼を持ちながら歩んでいくのです。きっとそこには、「だいじょうぶ、だいじょうぶ、主が共にいてくださるから」と、語りかける仲間がいたことでしょう。「ぼく」がおじいちゃんから「だいじょうぶ」を聞き、「ぼく」がおじいちゃんに「だいじょうぶだよ」と声をかける。これが、大切なことだと思います。

 友人から送られてきた手紙に、作者不詳の詩が紹介されていました。
「主よ、あなたが、あの人のことを、引き受けてくださいますから、一切をお任せいたします。私の力ではなく、あなたの力で、私の愛ではなく、あなたの愛で、私の知恵ではなく、あなたの知恵で、お守りください。主よ、抱きしめてください。私の代わりに。」
 この詩の「あの人」とはだれのことでしょうか。
「ぼく」にとっては、入院しているおじいちゃんでしょう。わたしたちにも、主に委ねるべき「あの人」がいることでしょう。守られた者が守る者となる。これがわたしたちの生き方でしょう。「だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうだよ!」と呼びかけあう。そこに主の羊たちの群れの姿があるのです。
日本福音ルーテル静岡教会 牧師 富島裕史

2016年8月4日木曜日

「傷ついた癒し人」

2016.08

 71年前、アメリカは人類史上初の原子爆弾を広島と長崎に落としました。この原爆を積んだ爆撃機は、戦争を終結させる平和の使者として、従軍チャプレンによって祝福祈祷を受けて送り出されていきました。悲しいことに、広島に飛び立ったエノラ・ゲイを祝福したのはルーテル教会の牧師。長崎の場合はカトリックの神父でした。浦上天主堂の真上で原爆が炸裂した時、礼拝堂では罪の懺悔告白の最中でした。
 人間同士の憎悪や不信、恐怖の結晶が原爆です。その破壊力は天地万物をお創りになり、命を生みだされた神さまへの反逆、その罪の深さを表しています。
 今年5月、現職大統領として初めてオバマ氏がヒロシマを訪問しました。そこで誠意あるスピーチをしましたが、現実は大統領が絶えず携行する「核爆弾のスイッチ」を平和記念公園に持ち込み、「核なき世界の実現は、私の生きている間には無理かもしれない」と告白せざるを得ませんでした。ここに武力を背景とした「パックス・アメリカーナ(アメリカの平和)」の限界があります。
 主イエスは最後の夜、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・12)と命じられました。なぜなら、もし互いに愛し合わなければ、私たちの前にあるのは破滅だからです。私たちはヒロシマ・ナガサキをはじめとする、戦争による多大な犠牲の痛みを共に担うことへと十字架の主によって招かれています。それは日本人だから、広島に住んでいるからということではなく、この痛みを通して、他国の、そして他者の悲しみ、苦しみ、傷を負っている人たちと連帯することを、主が求めておられるからです。

 平和主日の旧約の日課は、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」というミカ書(ミカ4・3)ですが、同じ言葉がイザヤ書にもあります。どちらもバビロン捕囚の時代のものです。国破れ、神殿に火がかけられ、民は奴隷の有様でバビロニアへ強制連行される民族の悲劇。かつて味わったことのない痛みと絶望が襲いました。


 そして捕囚からおよそ50年が経った頃、キュロスという王様がペルシャに登場します。ペルシャはバビロニアの敵対国。そこで、囚われていたユダの民はかすかな希望を持つのです。イザヤは45章で「主が油を注がれた人キュロス」と語ります。つまりこの段階で、キュロスこそが我々を救う神からのメシアなのだと語っているのです。そして現実に、ユダの民はキュロスによって解放され、祖国への帰還が許されるのです。


 イザヤの預言は成就し、平和が訪れ、祖国を再建できる。神さまは私達を見捨てていなかった。多くの人たちはそう思ったことでしょう。ところが一番に喜ぶべきイザヤはこれを良しとしませんでした。むしろ立ち止まり、疑うのです。人間の武力によってもたらされる平和の中に、真の救いはあるのだろうかと。 そして彼はこの末に、遂にイザヤ53章の「苦難の僕」と呼ばれる預言へと辿り着くのです。イザヤは人間の強さの中に救いを求めません。むしろ救いは弱さの中に現れる。人間的な弱さの極みに立って、黙々と隣人の罪と痛みを負う人、傷ついた癒し人こそメシアだと告げるのです。


 この平和の君は、十字架の上で苦しみを担われた神でありました。聖書が語る救い、癒しとは痛みや悲しみを取り去ることではありません。そうではなく、私たちが悲しみ、苦しんでいるこの痛みの経験は、より大いなる痛み、すなわちキリストの痛みに連なっているということを指し示すのです。


 それが象徴的に示されているのが聖餐式です。エフェソ書にあるように、敵意や隔ての壁、私たち人間の破れを全て包みこんで、主は和解と平和を実現してくださいます。その時私たちは、ご自身の傷をもって私たちに仕えてくださったキリストの愛を心に刻み直すのです。
 礼拝から派遣され、「御国を来たらせ給え」と祈りつつ行動する勇気と知恵が与えられていくのです。
 日本福音ルーテル教会広島教会 牧師 伊藤節彦

「エンキリディオン・必携」

2016.07
「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』」 (ルカによる福音書15・20~21)

 宗教改革500年を記念して、ルターの「エンキリディオン小教理問答書」が新たな翻訳によって出版されました。そのまえがきには次のように書かれています。
 「ルターはこの小冊子を『エンキリディオン』、『必携』と名付けました。・・・キリスト者が個人でも家庭でも必携として、聖書と共に身近に置き、機会ある毎にこれに目を通すだけでなく、これに従って生活を整えることを願ってのことでした。」
 そして、解説ではこのように語られます。「1503年にキリスト教的人文主義者エラスムスがラテン語で『エンキリディオン』という本を出版した。これは『キリスト教戦士必携』として知られている。・・・恐らく「エンキリディオン」(必携)という言い方は当時流行語になっていたのかも知れません。」

 エンキリディオンとは護身用の武器である「短剣」を意味し、後にそれが「必携マニュアル」という意味で用いられるようになりました。そして、私たちはエンキリディオンがキリスト者の命を守る短剣であることを、レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵の中に見ることができます。

 ルカによる福音書15章の放蕩息子の物語によれば、放蕩の限りを尽くした弟息子は最も惨めな姿で父の元に帰ってきます。レンブラントはこの物語を描いた絵の中で、父の前に跪く息子を、片方の靴は脱げ、もう一方の靴のかかとも破れ足が剥き出しになり、土と汗にまみれぼろぼろになった服を荒縄で締めるというまことに惨めな姿で描いています。


 しかし、そのような姿にもかかわらず、見る者が驚くほどのものをその息子は身に付けているのです。それは、ぼろぼろのいでたちの息子が腰に携えている、惨めさとは対照的なほど立派な短剣です。そして、この短剣こそがエンキリディオンなのです。


 レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵に関する著書の中で、ヘンリ・ナウエンはこの短剣について次のように語ります。「ユダはイエスを裏切った。ペトロはイエスを否定した。二人とも、道に迷った子どもだった。ユダは、神の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかりと握り続けることができず、自殺した。放蕩息子に置き換えて言えば、息子である証しの短剣を売ってしまったのだ。」(『放蕩息子の帰郷』)と。


 レンブラントが放蕩息子の腰に描いたこの短剣こそ、父の子であることのしるしであり、しかも、父の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかり握り続けるために必須のものであったと語るのです。


 そして、ルターはエンキリディオンを教理問答と結びつけ、小教理問答書を『エンキリディオン(必携)』と名付けました。父の子であることを思い起こさせる神の言葉の真理を捨て、失わないために。そして、この真理をしっかりと握り続けるために。


 レンブラントは、敬虔なプロテスタントの信仰者であり、「オランダ人はレンブラントによって、聖書の精神を教えられた。」と言われたほどの人物でした。だから、レンブラントが描いた腰の短剣は、息子に父の子としての記憶を持ち続けさせるものであったに違いありません。


 すなわち、信仰深かったレンブラントは、短剣・エンキリディオンを、父の子であることを思い起こさせ、真理を保ち続けるものとして、息子の身に帯びさせたに違いないのです。だからこそ、放蕩の限りを尽くした息子は父のもとに、再び帰ってくることができたのだと。


 父の家へ帰る道を私たちに教え、常にこの道をたどるようにその手に、神の子としての約束を握り続けさせるエンキリディオンを私たちもまた、身に帯び、主イエス・キリストの十字架と復活によって示された命の道を、共に歩んで行きましょう。

「『だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」(ルカによる福音書15・32

日本福音ルーテル保谷教会牧師・日本ルーテル神学校 平岡仁子

神によって変えられる

もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。」(ローマの信徒への手紙11・15〜16)   10月31日は何の日...